会社は誰のもの?

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先日、JMC社の株主総会がありました。

株主総会といっても株主は少数なので出席者も数人です。

いわゆる上場企業の株主総会とは似ても似つかぬ総会です(苦笑)

 

今の私の立場は、株主、兼、最高執行責任者(CEO)です。

他の株主さんは単なる出資者なので、普段の経営には”ほぼ”口出ししません。

そのため、3か月に一回は株主さんに対して業績報告をしているのです。

 

今期は2期目となるのですが、お陰様で黒字を達成できそうです。

問題は、どのレベルの黒字になるかという話になりつつあります。

そうなってくると、利益配分をどうするかという話に興味が出てきます。

(まだ累損があるので、時期尚早だとは思いますが・・・苦笑)

 

当然、赤字の会社ではそんな話にはなりませんが、

黒字の会社では、利益をどのように配分するのかということが常に話題に上ります。

このときに基準となる考え方は、「会社は誰のものか?」ということです。

このことは一昔前の本のタイトルにもありましたが、非常に難しい問題だと思います。

 

 

わたし個人的には「会社は誰のものでもない」と思っています。

ただし、その時々で影響力の強い人はいます。(所有という意味ではなく)

影響力の強い人とは、会社の置かれているステージや規模によって変化していきます。

 

 

まず、初期の段階では、出資者(資本家)が強い影響力を持ちます。

なぜなら、出資者がいないとそもそも会社の事業が始まらないからです。

そのため、どうしても出資者の影響力が強くなります。

 

次に成長期ですが、会社の規模を拡大させるには、経営者や番頭さんの力が必要です。

そのため、経営者を含めた会社のコアメンバーの影響力が強まるでしょう。

 

そして、ある程度規模が大きくなり、社員数が増加し、安定期に入ったら、

創業当初に影響力を及ぼしたコアメンバーの影響力は徐々に落ちていくことになります。

なぜなら、社員が増加することで影響度が分散するからです。

 

運営する業態が、サービス業か否かによっても人的影響力は大きく異なるため、一概には言えませんが、

会社の規模が大きくなり、仕事がルーチン化され、俗人的な領域が少なくなると、

従業員1人1人の立場が弱くなります。(下手すると経営者の立場も弱くなります)

 

だから、労働組合のようなものができる訳です。

労働組合とは、大勢で団体交渉することで、個々では立場の弱い従業員が、

経営陣や株主と対等に渡り合えるようにするのです。

 

 

一方で、資本主義において法的には資本家(株主)が最も影響力のある存在ですが、

現実の世界では必ずしもそうだとはいえません。

製造設備のないサービス業では、企業ブランドを除いたら、人材が最も大きな資源なので、

資本家が強権発動して、その結果、従業員に逃げられるようなことになると、資本家も損をするからです。

 

もし、資本家(株主)が利益を独り占めして、経営者や従業員の待遇を考慮しないと、

いずれは人が離れていくでしょう。

そのため、会社を永続させ成長させるためには、株主と従業員の間でバランスを保つ必要があります。

 

 

弊社の場合は、現段階において、そこが上手くバランスが取れているように思います。

なぜなら、大株主と経営者と従業員が、それぞれ影響力を保持しているからです。

 

 

バランスが取れている大きな理由は、経営を任されている私が大株主ではなく従業員寄りだからです。

もし、私が大株主でかつ経営者であったなら、儲かった時には富を独り占めしようとするかもしれません(笑)

しかし、わたしは大株主ではないため、株主に対する配分をメインには考えていません。

 

 

当然、株主に対しては当初出資してもらったご恩に報いる気持ちはありますが、

だからといって、全てを株主様に捧げようとは思っておりません。

あくまでも、株主と従業員はバランス良く富を配分されるべきだと考えます。

 

 

そのためには、「株主」と「従業員」と「経営者」の

“影響力”のバランスが取れていることが重要だと思います。

 

大王製紙は「株主」の影響力が大きすぎました。

オリンパスは「経営者」が権力を持ちすぎました。

大阪府や大阪市は「従業員」≒「公務員」(労働組合)が力を持ちすぎました。

 

 

どこかに権力が集中すると、組織は崩壊します。

そうならないためには、長期的にバランスの取れる仕組みをつくることが重要なんだと思います。

このブログを株主さんが読まないことを祈ります()

 

 

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男性の草食化

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少し前に本ブログにて「女性の男性化」「女性の肉食化」について触れました。

それと対照的に、「男性の女性化」「男性の草食化」が目に余ります。

うちの嫁いわく、こちらの方が問題なんじゃない?とのこと。

 

 

なぜどちらも中性的な方向へ向かうのでしょうか?

 

 

先日テレビで「東大スイーツ同好会」なるものが特集されていました。

その中で、中世的な男性が同好会について説明していました。

スイーツ好きな人であれば誰でも加入できるので、男女比率は2:8ぐらいとのこと。

(女性比率がかなり高い!!)

 

一瞬、「スイーツ好き」というキャッチフレーズで女性を釣っているのか?と思いましたが、

純粋にスイーツが好きなようで、正直あまり女性に興味を持って無さそうな男性陣でした。

 

 

僕らの学生時代はバブル真っ只中でしたが、男性はみなギラギラしていました。

どうやったら女性にモテるのか、そんなことばかり考えている男性が沢山いました。

だから、女性に好かれるために、スポーツをやり、流行のカラオケをマスターし

カッコよく着飾り、高級車を乗り回し、高給な食事を驕り、とにかく女性が中心の生活でした。

 

そんな時代はあえなく終焉を迎えるのですが、男性が男性らしくしていたという意味では、

ごくごく普通の時代だったと思います。(僕にとって普通の意味です)

 

 

ところが、最近は流れが違います。

男性が弱くなったのか、女性が強くなったのか、定かではありませんが、

明らかにパワーバランスが変化してきています。

 

 

以下に、妻や夫が相手に対して”トキメク瞬間”というアンケート結果があります。

これを見ると、あることに気付きます。

夫は妻に対して女性を意識しているのに対して、妻は夫に対して男性らしさを求めていません。

(というか、そもそも妻は夫に興味がありません)

 

●妻にときめく瞬間

1位:オシャレな服を着ている時

2位:おいしいご飯を作ってくれる時

3位:看病してくれる時

 

●夫にときめく瞬間

1位:ときめかない

2位:子供を可愛がっている時

3位:高い所の物をとってくれた時

 

 

上記のアンケート結果は結婚後のことなので、結婚前はどうなのか分かりませんが、

おそらく、大きく変わったのは女性側なのではないか?と推察します。

もっというと、女性の変化が男性に変化をもたらしたのではないかというのが私の持論です。

 

今やプロポーズも男性がするものではなくなっています。

女性が男性に言わせようと仕向けるか、そもそも女性から結婚を申し込むのです。

 

 

強い弱いは相対的なものなので、男性<女性となった原因は分かりかねますが、

男性が弱くなったというよりも、女性が強くなったというのが的を射ている気がします。

 

 

 

話が少し飛びますが、昨日のドラマで、「古民家のような男性が良い」というセリフがありました。

“古民家”とは「使い古されているが、シックリくる。安心する。ホッとする。

なんだか昭和の身体に馴染む」という例え話です。

 

 

もはや男性に求められるのは、男性らしさではなく、“癒し”なのです・・・

これが男性の草食化の真相です(笑)

 

 

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人生で初めての内視鏡検査

 

先日、生まれて初めて内視鏡検査を受けてきました。

キッカケは「社員全員で人間ドックに行こう」という話が盛り上がったためです。

みんなで「社員旅行!」ではなく「社員人間ドック」です。

 

 

私自身、ここ数年健診も受けていなかったので、多少健康に不安がありました。

また、社員のみんなも1年に一回ぐらいは健診を受けておいた方が良いだろうと思い、

全員で受けることにしました。

 

 

人間ドックといってもお泊りでやるような仰々しいものではなく、

午前中(半日)で終わるタイプのものでした。

内容的にも通常の健診とほぼ同じで、異なるのは内臓のエコー検査内視鏡検査ぐらいです。

 

 

ちなみに、この「内視鏡検査」が曲者(クセモノ)でした。

 

 

 

医師のエージェントをしているのに、内視鏡検査もしたことがないなんて、

口が裂けても言えることではありませんが、

実は今回が生まれて初めての内視鏡検査でした。(今回は胃内の経口検査です)

 

検査前にやることは、内視鏡を入れる喉の麻酔です。

麻酔液を口に含み、喉の辺りに溜めておいてくださいと言われるのですが、

喉に溜めるのが難しく、要領が分からず、ずっと舌の上に溜めていました。

この行為があの苦しさにつながるとは・・・

 

 

麻酔工程が5分程度で終了し、少し待たされてから、処置室に入りました。

ベッドに横たわり、顔は怖いが声の優しい看護師さんからいろいろとアドバイスをいただき、

言われるがままにしていると、医師がおもむろに内視鏡を挿入してきました。

 

麻酔の効いていない喉に、いきなり内視鏡が入ってきたので痛いのなんのって・・・(><

激痛の中、白目むいて涙流しながら嗚咽を繰り返しましたが、

医師はそんなことは一切構わず、一気に喉を通過させてしまいました。(さすがです)

 

喉さえ通過すれば楽になるかと思いきや、撮影の度にカメラの位置を前後に動かすので、

そのストローク行為が辛いのなんのって・・・

検査中もずっと嗚咽を繰り返していましたが、吐けども吐けども何も出ず、

そうこうしている内にそのまま無事終了してしまいました。(医師は満足そうでした)

 

 

検査終了後、処置室の外で会計を待っていたのですが、

他の処置室からも同様に嗚咽が聞こえてきました。(まるで拷問部屋のようだ)

せめて、待合室には声が聞こえないようにして欲しいですね。。。

 

 

内視鏡検査の結果はその場で写真をくれるのですが、特に問題もなく健康体そのものでした。

(実は前日にお酒を飲んでいましたが、少し胃の中が赤らんでいただけでした)

それ以外の結果は、12週間かかるそうなので、何もないことを祈るばかりです。

 

 

しかし、今回はいろいろな意味で勉強になりました。

内視鏡検査の求人がなぜ人気があるのか?、なんとなく分かった気がします。。。

 

次にやるならば、経鼻と下部ですかね?

今回のに懲りず、経験として、一度は試してみたい気がします。

“百聞は一見にしかず” 今回は身に染みて分かりました。

とある昼下がりの女子の会話

本日は少々ユル目の内容です。

先日、アポの時間が空いたので、丸の内付近でランチをしました。

そのときに、奇妙な光景を目にしたので、ブログに書き遺しておきます。

私がお店に入ったのは13時過ぎ。

ランチタイムを過ぎたこともあり、人はまばらでした。

パスタだったので早々に食べ終わり、席で仕事を始めたのですが、

少し熟した感じのキャリアウーマンが二人入店し、隣のテーブルに座りました。

最初は全く気にしていなかったのですが、英語のやり取りを始めたので、

外国人の方なのかな?と思いチラ見すると、外見は純日本人でした。

しかし、英語でしばらく話をしていたと思いきや、突然日本語で話し出す。

その逆もしかりで、英語⇒日本語⇒英語⇒日本語の繰り返しで会話が成り立っているのです。

とにかく頻繁に言語が入れ替わるので、会話の内容までは分からないのですが、

気になって仕事が手につかなくなりました。

昼休みに英語の練習?とも思ったのですが、どちらの言語もネイティブ並みで、

今さら練習という感じでも無さそうです。

見た目はキャリアウーマンなので、おそらく外資系の金融にお勤めされているのだと思われます。

(ちょうどランチしていたビルの上に外資系の金融機関があったので)

さぞかし、ハイソな話をしていると思いきや、案外普通の話で、主に男性ネタ。

いけてない上司の愚痴や、社内で気になる男性の話。さらには語学ができない同僚をこき下ろす話。。。

どうやら1人は結婚しているらしく、話は徐々にご家庭の愚痴へ向かい始めました。

旦那の稼ぎが少ないとか、夜の営みがご無沙汰とか、ご家庭の不満を延々と話し始めました。

そして帰りがけに発した驚きの発言がこれ↓

「今度会社のお泊り研修があるじゃん? 実はわたし、ちょっと期待してるんだけど。。」

「○○君(お気に入りの同僚男子)も研修来るらしいのよね~」

「わたし、研修先で自分の性欲を抑えられる自信がないわ・・・」

なんのこっちゃ!?

世の女性陣は完全に“男化”しております。

こんな女性ばかりでは、男性陣は太刀打ちできません。

この女性たちを例えるなら、

ちょうど今流行のドラマ「最後から二番目の恋」小泉今日子飯島直子のようなお二人です。

(バブルを経験した女性は強いです。是非ご覧ください。)

女性の強さを垣間見た、とある昼下がりの出来事でした(笑)

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受験勉強の是非

 

前回のブログで、卒業試験時の苦い思い出があると書きましたが、

自分としては、あれはあれで良い経験だったと思っています。

なぜなら、あれが無ければ、大学卒という意味が薄れていたと思うからです。

 

 

日本において、高偏差値の大学に合格すれば、4年間遊び通しても簡単に卒業でき、

その後の人生は安泰だという風潮があります。

しかしこれでは、付加価値の少ない大卒を大量生産しているようなものです。

大学側も卒業生の質には責任を持って、受験時よりも入学後に重きを置いた方が良いと思います。

 

 

日本の大学の進学率は年々上昇し、今や5をゆうに超えています。

これは国際的に見てもかなり高水準です。(以下グラフ参照)

 

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さらに、もっと興味深いことは、大学入学後の退学率の国際比較です。

実は、日本の大学の退学率は世界的に見て異常に低い数値となっています。

少し古いデータ(2005年)となりますが、日本の大学退学率は10%なのです。

 

 

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上記2つの掛け合わせが大学卒業者の割合となりますが、日米で比較すると以下のようになります。

 (卒業率は100%から退学率を引いた数値です)

アメリカ: 進学率53%×卒業率47%=大卒者の割合:約25%

日本:   進学率56%×卒業率90%=大卒者の割合:約50%

 

 

これを見る限り、今のような状況ですと日本の大卒者には価値がないということになります。

もっと入学後に厳しくして、卒業率を欧米諸国と同じ半分ぐらいにすべきでしょう。

これが出来ていないから、就職試験の際に半数の人が篩(ふるい)にかけられるわけです。

 

大卒の就職率が半分そこそこだというのは全くおかしなことではありません。

そもそも、世の中の仕事の半分がホワイトカラーなんて有り得ないのですから。。。

大卒者全員がホワイトカラーに就職できる社会にしたいのであれば、

大卒者の割合をホワイトカラーの割合に合わせるべきです。

 

 

受験勉強を「競争社会を生き抜く試練」に位置づけるのであれば、非常に良い経験だと思いますが、

勉強が好きじゃない人まで大学に入学して4年間遊びほうけるのは意味の無いことだと思います。

そういう方々は、無理せず、早めに路線変更して専門職を目指す方が効率的だと思います。

 

 

横並びではなく、もっと自由に進路を考えればいいのに・・・