先日の落合監督の退団ニュースには違和感を感じました。
表向きの理由は任期切れとのことですが、過去7年でセリーグ優勝3回、日本一1回。
万年Bクラスだった中日を常勝集団にしたのは、紛れもなく落合監督です。
今現在もセリーグペナントレースにおいてヤクルトと優勝争い真っ只中です。
しかも、後任が70歳の「高木守道」ときたら、これは違和感がありまくりです。
「立浪和義」が次の監督というなら、若返りということで話は分からなくもないですが、
なぜ、過去中日で監督経験もある超高齢の「高木守道」を再登板させたのか、不可解極まりないです。
立浪へのつなぎ政権と言われていますが、つなぐ必要性が感じられません。
これは、中日OBと落合監督との確執が表面化したとしか思えないような人事であり珍事です。
落合監督は一匹狼であり、中日球団内部の様々なしがらみを排除してきました。
その結果、中日のコーチ陣は中日OBではなく、実力のある部外者となっていました。
それが中日が常勝集団に変われた背景なのですが、中日OBにとっては働き口が無くなり面白くない。
そのため、中日OBからは常に苦情が出ていました。
また、落合監督は勝負に徹するため、時には非情な采配もありました。
日本シリーズで山井が8回まで完全試合だったのに、9回は岩瀬を投入した事件がありました。
他にも、不振の4番和田に代わって、バント要員の代打を出したこともありました。
しかし、それらは勝負師として最善の策を取ったというだけで、結果が全てモノを言います。
(また、代えられた本人達はそれなりに納得していたと思います。)
それらの徹底した采配の結果は、誰も文句を言えない数字が示しています。
そのため、中日OBも今までは表立っての批判はできなかったのですが、
今シーズンの中盤、中日の成績が下降し始めた頃から、雲行きが怪しくなってきたようです。
わたしが違和感を感じているもう一つのことは、退任の理由の一つに、
「ナゴヤドームの観客動員数が減ったこと」を挙げていたことです。
なぜ、監督が興行的なことまで責任を取らなければならないのか?理解不能です。
通常、興行的な責任は球団フロントにあるはずです。要するに経営陣です。
落合監督の職種はスペシャリスト職であり、経営とは距離があるように思うのです。
また、勝ち続けることにより、見えない部分での貢献があったと思います。
事実わたしも、地元名古屋から長く離れておりますが、中日が勝つと嬉しいものです。
いつか名古屋に恩返しがしたいという思いが醸成されるのも、地元チームが勝ち続けているからです。
当然、名古屋に住んでいないので、ナゴヤドームには行けませんが、
名古屋の実家には必ず中日新聞を購読させていますし、スポーツ新聞は東京中日スポーツです。
こういった目に見えない貢献はどのように測定するのでしょうか?
わたしの考えとしては、プロ野球の監督が興行的な責任を取らされることは間違っていると思います。
たしかに落合監督は言葉少なでマスコミ受けは悪いですが、男は黙って結果を出せば良いではありませんか?
そんな人間の方がカッコイイと思っているのは、わたしだけではないはずです。
「勝負師・落合」はプロ野球の監督としては一流の部類に入る大成功だったと思います。
わたしはよくしゃべる野村元監督も好きですが、どちらにも共通していえることは、
二人ともドラフト外入団であり、エリートではなく、苦労人だというところです。
また、バッティングに関しては、投手の癖を盗んだり配球バターンを読むことが得意でした。
二人とも恵まれた体格ではなかったため、そういった技術を身に付けるしかなかったと思うのですが、
チームメンバーを指導するときには、そのような理論立てたスキルが役に立ちます。
こういう苦労人の方が、人を育てる指導者には向いているのです。
センスの良いエリートというのは、一般人の苦労が分からないため、指導することができないものです。
じっくりとチームを育て、長期的に勝てる組織を作ることができる人は、
案外選手としてはエーリートじゃなかった人の方が多い気がします。
チームを育てるためには、自分なりの理念やこだわりが必用です。
その結果、周囲を敵に回すこともあるでしょう。
しかし、それこそがプロだと思うのです。
サラリーマンの世界では、全方位外交できる人が重宝されますが、
プロの世界(勝負の世界)においては、
嫌われることも覚悟の上で自分のポリシーを貫くことが重要だと思います。
そんな、「ポリシーを持った監督」を退任に追い込む球団経営者達は、
日本のプロ野球を衰退させていくことでしょう。
落合を次期監督として雇う気概のある球団経営者が待ち遠しいです。