イビチャ・オシム

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元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムの本を読みました。

「恐れるな!」-なぜ日本はベスト16で終わったのか?-

前作の「考えよ!」に引き続き、日本人の特性を論じながら、

将来的に日本が何をすべきかを事細かに書き尽くしています。

わたしがこの本から感じとったことは、以下の2つです。

1,リスクテイクの重要性

2,メディアの重要性

まず、リスクを背負うことの重要性ですが、

常にリスクを背負えと言っているわけではありません。

ここ一番の勝負所でリスクを背負えるかどうかが重要なのです。

これはスポーツや勝負事をやっている人なら誰もが経験したことがあると思います。

たとえ劣勢にあったとしても、忍耐を重ねていると、突然流れが変わることがあります。

これをオシムは次のような表現で伝えています。

「勝利をつかむための”勝利の五分間”を察知し、そこにつけこむことができるかどうかが重要。」

「その”勝利の五分間”を辛抱強く待つことができるかどうかが勝負の分かれ目である。」

要するに、”忍耐”×”勝負勘”×”リスクを背負う勇気” 

これら全てが噛み合って初めて結果を残せるということです。

 

 

近代サッカーはリスクを背負わなくなってきています。

「負けを極端に嫌いディフェンスに徹するサッカー」を、

オシムは「モウリーニョ主義」と呼んでいます。

モウリーニョとはサッカーファンなら誰でも知る名将であり戦術家です。

現在はスペイン・レアルマドリードの監督であり、世界最高年俸の監督ともいわれています。

その戦術は現実主義であり、かなりディフェンシブな印象が強く、

オシムからすると、つまらないサッカーに見えるようです。

なぜ近代サッカーでモウリーニョ主義が蔓延しているのか?

原因はメディアにあります。

オシムは次のような表現で語っています。

「監督という職業に就いている人は、心のどこかに守備的な戦術傾向を持っている。」

「なぜなら、メディアは負けさえしなければ、

 たとえ試合内容が悪かったとしても、そのゲームは良かったと報じる。」

「その結果、監督やコーチは職に留まることができる。」

「しかし、これは明らかにサッカーに対する冒涜で、サッカーの後退を意味する。」

「サッカーを取り巻く巨額の金が、”負けなければいい”という風潮をつくりあげた。」

たしかに、ここ最近は引き分けで良しとする傾向が強くなったと思います。

また、負けた時でも内容的にはここが良かったという論評を聞かなくなりました。

そして、良いときはチヤホヤし、少しでも調子が悪くなるとこき下ろす。

元はといえば、そのような表現を喜ぶ観衆がいるから、メディアがそうなったのですが・・・

「メディアが取り巻く誇大宣伝による過剰なプレッシャーは選手をダメにする。」

これは世界共通のようですが、若いプレイヤーに過大な期待を寄せることはやめるべきだと思います。

ただし、プレイヤーを甘やかせといっている訳ではありません。

ときに、観客が発するヤジが選手を育てることもあるからです。

オシムはこうも言っています。

「日本のスタジアムには殺気がない。」

「雰囲気がぬるま湯のようであれば、そこで何かビッグなことを成し遂げるのは難しい。」

わたしがいうのもなんですが、正直、日本は観客のレベルが低いと思います。

得点をとった選手だけに注目が集まり、ボールを持たない選手には見向きもしない。

欧州では、ゲームごとに選手の点数を付けていますが、

必ずしも得点をとった選手が最も高い点数にはなっていません。

サッカーはボールを持たないときの動きの方が重要なのに、観客はそれを分かっていません。

Jリーグの歴史が浅いので仕方がないことだとは思いますが・・・

日本サッカーのレベルを上げるためには、

観客とメディアのレベルも上げていかないといけないということですね。

 

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