先日、顧問税理士と前期決算内容について話をしていたとき、少し嬉しい出来事がありました。
それは何かというと、経営について些細なことを褒められただけです。
しかし、人に褒められることが久しぶりだったわたしは、異常に嬉しくなりました。
その日は一日楽しく働くことができました(苦笑)
わたしの現在の肩書は「代表取締役社長」となっていますが、実は単なる「雇われ社長」です。
世の中的には「最高執行責任者(CEO)」なんていうカッコイイ呼び名もありますが、
過半数の株式を持っていない経営者は、所詮「雇われ人」です。
株主さんに対しては四半期に一度、報告会をしていますが、
良くも悪くも淡々とした方々なので、叱られることもありませんが、褒められることもありません。
事業についてあれこれ口出しもされないので、投資家と資産運用者みたいな関係です。
サラリーマンが長いわたしにとって、上司がいないということは少し違和感があります。
評価してくれる人がそばにいないことは、正直淋しい気持ちもあります。
サラリーマン時代は、どちらかというと「好きな上司や仲間のために」働いていました。
よって、気の合う上司の時は高いパフォーマンスを発揮するのですが、
そうでない時にはパフォーマンスが落ちるので、扱いにくい社員だったと思います。
少し前に久しぶりに会った後輩に、「先輩には上司がいない方が良いと思います」と言われました。
それは、半分は当たっていますが、半分は外れています。
本当は、好きなタイプの上司ならば、その人のために黒子に徹することも良いと思っています。
なぜなら、自分の尊敬する人から認められたいからです。
こんなことを書くと「甘えた奴だ」を思われるかもしれませんが、その通りなのです。
なんのために働くのか?と問われたら、お金のためとか、自己実現のためとか色々ありますが、
単純にいうと、「人から認められたいだけ」だと思うのです。
ただ、わたし自身の性格からして、大袈裟に褒められることは大の苦手です。
ややこしいのですが、さらっと褒められる程度が一番心に響くのです。
先日の一瞬は、まさにそんな感じでした。
人間は、社会生活を営んでいくうちに、「誰かから認められたい」という感情を抱くようになります。
この感情は「承認欲求」といいます。
わたしはこの感情が人一倍強いのだと思います。
この「承認欲求」は、社会的弱者や劣等感に悩んでいる人間、そして情緒不安定な人に強い傾向があります。
逆に、コミュニケーションが苦手な自閉症の人や、既に承認欲求が満たされている人は、強くはありません。
よって、承認欲求は先天的な欲求ではなく、後天的な欲求であるといわれています。
昔聞いた話ですが、あの「リクルート」という企業は、「承認欲求」の強い人を採用するそうです。
例えば、不幸にも片親に育てられた人とか、すごく貧乏な家庭で育った人とか、劣等感の強い人です。
理由は、「承認欲求」の強い人間ほどハングリー精神が強く、業績を上げる人が多いからです。
それと比較すると、わたし自身はごくごく普通に育ってきたので、そこまでの「承認欲求」はありません。
しかし、平均よりは強いと思っています。
この「承認欲求」は下手するとマイナス面に働くこともあるので、
今後も気を付けて付き合っていきたいと思います。
自分でいうのもなんですが、この欲求は、極めて厄介な欲求だと思います。
むしろ、こんな欲求は一切なく、褒めてくれなくても良いから、
お給料さえ高ければそれでいいという人の方が、扱い易い人なんだと思います。
(そういう人は周囲にはいませんが)
ちなみに、わたしは人の「承認欲求」を満たすことは苦手です。
褒めた方が喜ぶと分かっているのに、なかなか素直に褒められません。
「思い」はみえないが「思いやり」はみえる。
「こころ」はみえないが「こころづかい」はみえる。
どこかで聞いたフレーズですが、言葉も口にしないと伝わらないですね(笑)