特注家具の制作会社「秋山木工」、代表取締役社長「秋山利輝」著
「秋山木工」では今時には珍しい「徒弟制度」の中で、数々の優秀な職人を育成しています。
秋山氏は中学卒業後、家具職人の修行をして独立した苦労人なのですが、
その経験を活かして「秋山木工」の社員達には以下のようなルールを課しています。
・入社したら、男も女も丸坊主になる。
・修行期間の四年間は携帯電話禁止。恋愛禁止。
・家族との連絡手段は手紙のみ。
・修行から解放されるのは盆と正月の10日間のみ。
・朝6時に起床し、15分ほど町内を走る。
・朝食は一年目の丁稚がつくるが、兄弟子が一から教える。
・食事が終わると、近くの道路の清掃。
・仕事は朝礼で始まり「職人心得28箇条(かじょう)」を唱和する。
・仕事終了後は個人的特訓があり、睡眠は1日3,4時間。
いまどき、このような厳しい会社に入社する若者がいるのだろうかと思ったりもしたのですが、
これが結構人気があるらしいのです。
新聞やテレビで取り上げられたことで話題となり、全国から志望者が殺到しているとのことです。
そもそも「丁稚」(でっち)とは、江戸時代から終戦まで行われた「年季奉公の一形態」です。
元々、商店主を育成するための制度ですが、30歳前後には暖簾(のれん)分けされるようです。
しかし、そこに到達するまでは厳しい生存競争があり、
江戸時代の三井家の丁稚の場合、暖簾分けまで到達できるのは1/300であったといわれています。
丁稚奉公のスタートは10歳前後で商店に丁稚として住み込みをするところから始まります。
丁稚に給与は無く、衣食住が保障されているのみでした。
店主としては商売のノウハウを教え、飯を食わせるのであるから無給は当然だと考えていました。
しかし、この丁稚という制度は終戦後、アメリカの統制下で労働法規が整備されたことにより、
「住み込みによる衣食住以外は無給に近い労働」という丁稚奉公のスタイルは廃れていきます。
このような歴史の流れから、200年以上の歴史を持っていた丁稚制度は消滅してしまいました。
しかし、この「丁稚」という制度は、一昔前の「医局」に似ている気がします。
過去、医局においても「無給医局員」が多数存在していたといわれています。
現在は少なくなったようですが、おそらく保守的な国立大学においてはまだ残っているのでしょう。
いわゆる丁稚のような「無給医局員」がなくらない理由は、いろいろあるとは思いますが、
若手の医師にとって先輩医師から効率よく学べる「メリット」があることは否めない事実でしょう。
最近では医局に属さない医師も増えているようですが、
教授や先輩医師の人間性さえまともであれば、まだまだ必要な制度ではないか?とも感じるのです。
話は「秋山木工」に戻りますが、最初の4年間は研修生としてほぼ無給ですが、
5~8年目は「秋山木工」の職人として、請負の能力給となるので、厳密にいうと丁稚ではありません。
そして、9年目になると、必ず会社を辞めなければいけないというルールもあります。
退職の仕方は人により様々ですが、「グループ内で独立」「他社へ就職」などがあるようです。
9年目に必ず辞めさせる理由は「同じところにずっといると技術が向上しないから」だそうです。
ふと思ったのですが、「医局」もこんな感じで所属年数に縛りを設けたらどうでしょうか?
そうすれば、先生が医局を自然に離れて全国各地で腕を振るう機会が増えると思うのです。
しかし、「臨床軽視・研究重視」の価値観の中では大学に残ることが第一なのでしょう・・・
もしくは、教授を任期制にするというのはどうでしょう?
そうすれば教授もいろいろなポジションをローテーションすることになるでしょうし、
入局した際、嫌な教授に当ったとしても、短期間我慢すればなんとかなります(苦笑)
結論、「丁稚」という制度は、技術を高めたり、ノウハウを得るためには良い制度だと思いますが、
いつまでもその場に安住することは良くないことだと思います。
医学の世界では、医学の進歩のために研究を重ねる必要があるとは思いますが、
この医師不足の折、10年程度「医局」に所属し医療技術を身に付けた後は、
「医局」を卒業していくという流れが一般的になっても良いのではないでしょうか?
(医学を知らない素人が短絡的な発想をしてすみません)
なお、「医局」を離れる際、求職については、わたし達のような「人材紹介会社」にお任せください。
先生たちのご希望に沿った医療機関を開拓して参ります。