少し前のニュースですが、来期日ハムを退任する梨田昌孝の後任の監督として、
「栗山英樹」氏が北海道日本ハムファイターズと2年契約で合意しました。
栗山氏は現役生活が7年と、短い選手生命でしたが、私の記憶には結構鮮明に残っています。
理由は、ちょうど私が野球少年だった小学生から中学生になる頃に活躍していた選手だからです。
また、センターの守備が上手かったことをよく覚えています。
そんな栗山氏ですが、これまで決して順風満帆な人生ではありませんでした。
高校時代は創価高校で甲子園を目指しますが、一度も夢を叶えることはできず、
その後は教員を目指して、東京学芸大学教育学部に合格します。
東京学芸大学では硬式野球部に入部し、東京新大学野球連盟での大学通算では、
投手として25勝8敗、打者として打率.389(リーグ史上3位)という並外れた成績を残します。
そして勉学にも励み、在学中に小・中・高の教員免許を取得し、教員になるための足場を固めます。
しかし、野球への夢を捨て切れず、ヤクルトの入団テストを受けると、
想定外にも、ドラフト外でヤクルトスワローズへの入団が決まってしまいます。
ただし、栗山氏の野球人生は病気と怪我との闘いでした。
中でも入団2年目に発症したメニエール症候群は、その後のプロ野球人生に深い影を落とします。
テスト入団ということで、入団当初から体力的にも技術的にも他の選手に劣り、
その差を猛練習でカバーしてきた栗山氏にとって、
他の選手以上の練習ができなくなるということは致命的でした。
結局、プロ野球の現役生活は7年で終了し、その中で規定打席に達した年は1シーズンだけでした。
プロ野球引退後は、1991年から野球解説者・スポーツキャスターとして活躍します。
さすが教職の免許を持っているだけに、視聴者に分かりやすい解説で人気が出ます。
一説によると、野村克也氏から「結果論を語らせれば日本一」と言われたそうです(笑)
2004年からは白鴎大学助教授になり、2008年に教授に昇進し、
現在は経営学部教授としてスポーツメディア論・野球型などを専門分野として活躍しています。
こうやってみると、大学に進学し学んだことが、ようやく実を結んだようにも思えます。
ただ、野球人生に関してあまり上手くいっていないと感じるのは、以下のエピソードです。
ヤクルトの古田監督の引退の際、監督候補として取り沙汰されましたが、結局実現しませんでした。
その理由は、球団フロントに対して歯に衣着せぬ物言いをしたからだと言われています。
「弁が立つ」ということはキャスターには向いていますが、時として不利に働くこともあるようです。
特にコーチや監督としてやっていくときは、弁が立ちすぎることは不利に働くような気もします。。。
私の好きな「落合監督」も全く話しませんからね(苦笑)
コーチや監督の重要な仕事は、選手の力量を見抜いて鼓舞することだと思うのですが、
そのやり方は、言葉で伝えるよりも、起用方で示すことが重要な気がします。
また、プロ野球はプロの世界なので、選手から畏敬の念を持たれないとやりにくいと思われます。
現役時代の成績はもちろんですが、監督としての力量も、選手は即座に感じ取るでしょう。
栗山氏はコーチ経験がなく、いきなり監督になるわけですが、どこまでやれるか見物です。
落合監督のように、現役時代の成績も大して良くなく、監督経験もないとなると、
どうやって選手を魅了するのか、手腕の見せ所です。
案外、学生時代にとった教職免許が役に立つかもしれません(笑)