医療法人社団徳洲会創設者徳田虎雄先生の訃報に際して

医療法人社団徳洲会を創設した人物として有名な徳田虎雄先生が2024年7月10日に亡くなりました。86歳、晩年はALSとの闘病が度々報道されていて、それを目にする方も多かったのではないでしょうか。ALSは全身の筋肉が痩せていきだんだんと体を動かせなくなっていく病気ですが、徳田虎雄先生は体が不自由になってからも徳洲会グループの意思決定に関わり、車椅子に座って眼球の動きで意思疎通を図る姿に衝撃を覚えた記憶があります。

医療の業界に携わる方、また我々のように医師や医療機関に関わる仕事をしている人間で徳洲会を知らない人はいないと思います。言わずと知れた日本有数の医療グループで、76病院・36診療所を持ち病院の病床数を足すと実に19,000床を超えます(徳洲会ホームページにある病院の病床数から算出)。千葉西徳洲会や福岡徳洲会のような600床を超える大規模病院から100床未満の小規模病院まで病院の守備範囲は多岐に渡り、各地域でさまざまな医療分野の役割を担っています。病床数で言えば日本赤十字社や済生会など徳洲会よりも規模が大きい組織は存在しますが、個人が創設した医療法人としては信じられないような拡大をしてきたのではないでしょうか。

徳洲会系列の医療機関は110施設ですが、もちろん保険医療機関だけではなく老人保健施設やその他関連施設を含めるとさらに数は大きくなります。そしてそこで働く職員数は実に4万人を超え、グループ全体の売上は年間5,000億円に達します。参考までに近しい売上額を誇る企業は、ヤクルトや三越伊勢丹ホールディングス、日清紡ホールディングスなど名だたる企業が並びます。従業員4万人超の企業は、東京電力や三井物産、大和ハウス工業などが近しい企業です。

このように超一流の企業と肩を並べる規模の医療法人である徳洲会ですが、始まりは一つの病院でした。1973年に大阪府松原市に「徳田病院」を開業、当時は個人開設病院でしたが2年後の1975年に医療法人化し、徳洲会が誕生します。法人の哲学として「生命だけは平等だ」(いのちだけはびょうどうだ、と読みます)を掲げて、その実践として離島や僻地医療の改善や救急を重視した医療の提供を行っています。同時に、上述した哲学からも読み取れるように、社会的弱者への医療提供にも積極的で、自己負担額の猶予や大部屋の差額ベッド代無し・贈り物は一切受け取らない、なども掲げています。その姿勢が評価されたのかどうかはわかりませんが、一件から始まった病院は日に日に規模を拡大していきます。大阪を中心に九州、東北、北海道、神奈川、埼玉と徐々にエリアも広げ医療法人を複数持つようになります。そして2005年にはついにそれまで病院を持っていなかった東京都に病院をつくります。それまで頑なに入らなかった東京都にも現在は2病院あり、関東圏でも神奈川は大阪と並ぶ10病院を保持するなどその勢力を強めていきました。

徳田虎雄先生自身は1990年から衆議院議員として活動をしていますましたが、2002年にALSを発症し、2005年に政界を引退しています。その後は徳洲会グループの最高意思決定権者としてグループを率いていましたが、公職選挙法違反のスキャンダルが浮かび上がり徳洲会グループの要職を辞任しました。最後にメディアが取り上げたのが2019年のドキュメンタリー番組で、その頃には車椅子に乗ることもできず視線での意思疎通もできなくなっていたようなので、現実的にグループの運営はできていなかったろうと思われます。実際その頃は、当時複数あった徳洲会系列の医療法人(沖縄徳洲会、木下会、埼玉医療共同生活組合、愛心会、など)を医療法人徳洲会へ一本化しています。この法人の大統合は意思疎通がむずくなった元理事長からの意思決定権委譲の現れなのかもしれません。

全国を股にかけて一大グループを築いている徳洲会、保有している医療機関の数からも紹介会社にとっての取引先として欠かすことができません。初期研修制度開始以降、医師の働き方・キャリアの積み方は大きく昔と変わりましたが、徳洲会に就職する医師・そこで働く医師の考え方、キャリアへの姿勢についても昔と今とでは変わっていると感じます。医師個人個人のキャリアに合わせた仕事が選べるような病院の多様さもあり、それぞれ個々の病院の個性も違いますからある程度広いエリアで募集を探すのであれば見つけやすいです。何より4万人をこえる法人ですので福利厚生なども充実しています。

大阪の一つの病院から始まり、50年かけて日本の救急の3%を担うまでになった徳洲会。その大きな功績への畏敬の念を抱くと共に、徳田虎雄先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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