都内私立大学附属病院の先生(外科系)
最初の面談で受けた印象は知的でスポーツマン、スーツ姿が似合うナイスミドルでした。挨拶を終え、早速転職動機を伺ってみました。
「大学からそのまま医局に残り、准教授として大学病院で1日50人の外来や難しいオペをこなす毎日。そんな中、教授選を巡って医局内で内紛が勃発しました。怪文書が出回り、裏切り行為が横行し、何故か他人の銀行口座が公表されたりとうんざりする状況です。選挙戦の結果を見届け、患者さんの行き先の目処が付けば自分は退職する事を決意しているので転職先を探して欲しいです」
という。まるで白い巨塔さながらの状況でした。
H先生から出された条件は、
「大学のしがらみが無い横浜の自宅近くに勤務して、家族との時間を大切にしたいです。娘はまだ小学生で相手にしてもらうるうちは遊んであげたいです。今の大学の給料は安いので年俸は、人並みに貰えれば。オペは出来ますが、積極的にやりたいという訳ではないです。たくさんやってきたので求められればやっても構いません。あと絶対条件として、次に働く病院の院長が、国立A大学出身ではない所でお願いします。」
転職経験が無く、性格も明るく、指導医も持っていて、手術を多くこなしてきた整形外科医。そして現在は大学病院の准教授という肩書きもある。私は簡単に転職先を決められるだろうと高を括っていました。
ところが、4つの壁にぶち当たりました。
第1の壁は、56歳という年齢。ほとんどの病院では院長や部長の年齢がH先生と同じくらいか年下で、30歳代の若いドクターを求めていました。整形外科という比較的縦社会の診療科だけに、部長より年上ではやり難いという病院側の考えでした。
第2の壁は『准教授』の肩書き。私は先生の経歴の『准教授』の肩書きを伏せ、人柄を見てもらう事を優先にしました。
第3の壁は先生から一つだけ出された条件『院長がA大学出身でない事』。これは想像していたより遥かに苦労をしました。A大学出身の病院長はとても多かったです。
第4の壁はオペの術式。整形のオペは医局によってかなり術式が異なるので何処でも良いというわけにはいきませんでした。
A先生と最初にお会いしてから2か月後、やっと面接にお連れしたい病院が見つかりました。
150床ほどのB病院は院長を含む常勤のドクター4人が一生懸命に病院を盛り立てていて、職員の明るい雰囲気です。二次救急ではあるが設備が古いので、あまりに重症な患者さんは搬送されないという事。オペも多すぎず、忙しさの具合も適度。准教授の肩書きを隠さない履歴書を出し面接を終えて、H先生もB病院の常勤の先生方もお互いに「一緒に働きたい」と言われ、とても嬉しく思いました。条件としては相場より少し高く、当直月1回という事で、QOLと報酬が大学病院時代より大幅に改善されました。
65歳の定年まで頑張りたいと仰っていただいた顔が今でも印象に残っています。